馬鹿でいいのだ
こんにちは
愛しのチビ怪獣の母です。
最近は梅雨のような天気が続いていますね。
相変わらず師匠のヨガ哲学の講義を受けています。
ここ最近の講義は耳が痛かった!!頭が痛かった!!
そして執着だらけの自分に気付いてげんなり・・・の繰り返しです。
そして昨日編み物あみあみしていたら(自称:編み物瞑想)
ふと自分の中で自分の馬鹿さ加減を自分で受け入れて認めちゃえばいいじゃん!!
という結論に今は至りました。
未来の自分を追い求めるあまり苦しくなる
未来の自分は他人からこんな風に思われたい
と他人の評価に自分の軸を置いていることに気付いて、全く私が今にいません。
これから起こることなんて誰にも分らない
これは誰に対しても同じで、誰もが無知の状態です。
操作することもできません
事が起こる時に知恵をもっているか否かによって
受け取り方が異なり、それの積み重ねが今の私なんだと改めて気付きました。
だから馬鹿でいいのだと思ったのです。
ヨガ哲学では自分は何者かを知るために知恵(ヨガ哲学)を学んでいきます。
無知だから欲望にかられ種となり
またその種を解消するために輪廻転生してきます。
”人生そのものに意味は全くなく、人生を演じている役そのものにも意味がなく、
役そのものを完全に演じ切ること(シェイクスピアの一説の解説)
何事でもいいので今目の前にあることに真剣に取り組むこと”
ピシャリと話された師匠の言葉に最初ショックを受けましたが、今は何となくわかった気がしました。
未来の自分を作るのは今の自分の積み重ね
だからこそ目の前にあることに真剣に取り組んでいくこと
自分のものの受け取り方を知恵をもって観察していくこと
これの積み重ね
これが自分が何者であるのかを知ることにつながるから
未来の自分に全く囚われる必要がないし、そもそも囚われてしまうこと(役)に意味がないと感じました。
だからこそ私は自分の馬鹿さ加減を認めて、受け入れて
目の前のことに真剣に取り組んでいきたいなと今は感じています。
私は馬鹿でいいのだ!!
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
目標と行動を楽しむこと
こんにちは
愛しのチビ怪獣の母です
だんだん秋が近づいてきている風になってきましたね
季節の変化とともに時間の経過もしみじみ感じます。
今日は目標と行動についてです。
ヨガ哲学でも執着はよくないものとしています。
執着があるから自分を束縛し、その結果自分自身を苦しめている原因となっているためです。
講義の中で執着と目標との違いについての話題がありました。
〇〇になりたい、〇〇を得たいという目標は執着にならないのかという話題です。
確かにこれは難しい違いだなと思いました。
師匠は目標を立てることは行動を起こすために必要な事
ベストはその目標に期限を切ることである
人はもともと怠けるエネルギー(タマス)が強いので、目標がなければそもそも行動しなくなるもの
行動した結果を得たいと考えて行動すること(ラジャス)が執着になるとのことでした。
目標は立てるけれど、そこに向かって行動する時は純粋に行動自体を楽しむこと(サットバ)これがポイントです。
言われてみればフムフムと理解はできます。
実際にとなると、まだまだ執着になってしまいます。
私の場合は、結果を得たいと思って行動してしまうので、
こうありたい私と今の私との比較から始まり、今の自分の出来なさに失望したりと今の自分を否定することからスタートしてしまうなと感じます。
そしてその差を埋めるための努力が始まり、〇〇でなければならない、〇〇しなければならないという思考になり
結果束縛して自分自身を苦しめ、目標を達成するのが難しく、苦しいものという固定概念ができ、いつの間にか行動自体が苦しくなる。
いつもこのパターンに入っている気がします。
純粋に行動することを楽しむことができると、すべてはリラ(遊戯)の世界になるとも師匠は言っていました。
全ては遊びになる世界ってすごく楽しそう。。。
ここまでの領域に達するにはまだまだですが、そうなんだと知っておくだけでも心が軽くなります。
行動していて苦しくなった時に思い出すことができるからです。
ヨガ哲学を学ぶと人生を楽しく生きる知恵がたくさん出てきます。
この哲学が紀元前から存在していると思うと言葉足らずですが、
ヨガ哲学ってすごい!!!
この一言につきます。
この学びに出会えたこと、また師匠に出会えてことにも感謝です。
もっともっと学びを深めていきたいとなと改めて感じます。
行動自体を楽しむことが今に集中することにつながり、自分自身の束縛を解放することでもあるんですね。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
生活が楽しいものになる
こんにちは
愛しのチビ怪獣の母です。
夏の日差しが肌に痛いですね。太陽のエネルギーのパワーをさらに感じます。
今日はヨガ哲学の復習
人生は自分が何かを追求するのではなく、常に何かを問われている存在であるということ
これは『夜と霧』の中で出てくる考え方
これを聞いた時この考え方は新しい視点でした。
師匠は以前
今いる環境は今の自分にとって最高の環境であると話されていたことがありました。
その時は、「え。不満もある。環境を変えたいと思うこともたくさんあるけどな。」とだけ思って、「ふーん。」と流していました。
しかし、人生とは常に何かを問われている存在であるという考え方を知った時、師匠の言葉の意味が理解できました。
今自分がいる環境は自分で選択した環境ですが(ヨガ哲学的には過去のカルマから選択されたもの)、人生の学びのために準備されたもの。
なので、ここから何を学ぶべきなのか自分で読みといていくことなのだと。
このことが分かった時、今いる環境に感謝できると同時に毎日の生活が楽しいものなんだと気づくことができます。
この状況を見せられているのはどういうことなんだろうか、常に問題解きです。
何かを教えてくれいていると思うと有難いと思うことができませんか?
師匠曰く、「何か(自分にとっての)大きな事(例えば失敗など)が起こるほど、これはどういうことなのかワクワクする」とのこと。
さすがです。。。。
問題解きをするときのポイントは、好き・嫌い、良い・悪いなど相対的に判断するのではなく物事の本質を観ることだと師匠は言っていました。
だからこそ『夜と霧』の作者フランクルもアウシュビッツ収容所という最悪な環境から生き残ることができたとも話されていました。
まだまだ学びの真っ最中
ヨガ哲学のエッセンスを実生活に生かして
人生を輝かしく素晴らしいものにしたいなと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
変化を受け入れる
こんにちは
愛しのチビ怪獣の母です
オリンピックモードの中 チビ怪獣はトーマスにアンパンマンにダイの大冒険に我が道を歩んでいます
今日は[変化を受け入れる]について書きたいと思います
ほぼ毎朝アシュタンガヨガをしていますが、ふと気付いた事がありました。
それは毎日の体調変化を受け入れること
目に見える変化ではなくて内側から感じる変化です
以前までは昨日より劣っていると感じるとそれが嫌で
いつも通りの練習が出来ることを目指していました
この世は常に変化する世界
仏教用語では無常
これが少し分かった気がします
川の流れのように常に動いているから
自分の体の変化も当たり前
だから同じを目指して川を堰き止めるのではなく、流れに乗ることなんだと気付きました。つまり今の状況に逆らうのではなく受け入れる。
不思議と変化を受け入れると
嫌じゃない
アーサナをとっている自分をもう一人の自分が静かに観ている感覚でした。
環境についても同じです。
練習中に愛しのチビ怪獣が起きてくると
以前であれば集中力が乱されて嫌だったんです
あまり嫌じゃない
自然な流れとして受け入れることができました。
今に集中するとは、この変化の流れを見ることでもあるのかもしれないというのが気付きです。
ヨガ哲学では執着することで時間の概念が生まれます。
過去の私、未来の私に頭が行ってしまって、心がそこにとどまり
今の瞬間 真実の世界にいないことがよくあります。
それで苦しみが生まれます。
なので、心を今に戻すことで苦しみを解放することができます。
今起こっている変化、流れを観ることは、この今の瞬間にいることにつながるのではないかと思いました。
変化に逆らうのではなく
静かに観て受け入れる。
ヨガの練習を通した気付きです。
マットから離れても日常生活で活かすことができる知恵を一つまた学びました。
この気付きがどなたかのお役に立てれば幸いです。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
許せない気持ち
こんにちは
愛しのチビ怪獣の母です。
チビ怪獣の新しい相棒・ニャン太郎をゲットし、毎日ニャン太郎に話しかけているチビ怪獣に癒されています。
今日は[許せない]気持ちについて書きたいと思います。
今月から私の師匠のヨガ哲学講座を受講しています。
そこで人間の苦しみは、肉体的なものと精神的なものがあり、精神的な苦しみは6つの要因から発生することを知りました。
欲望、怒り、貪欲、執着、傲慢、嫉妬です。
全てはこうしたいという欲望から始まります。そこから思い通りにならない怒り、どうしてもこうしたいという貪欲、それにしがみ付く執着。。。。
普段起きている感情がどこから発生するのか冷静に分析してみることがヨガ哲学の実践であると教わりました。
そこで、ここ2,3年持ち続けている[許せない]という気持ちに向き合ってみることにしました。
ある方に対して持ち続けている[許せない]という気持ち
私が自分の基準で ”こうあるべき” ”母親としては考えられない行動だ” という考えにしがみついている、執着から来ているものだということがわかりました。
ある方にとっては仕方のない状況だったのかもしれない、その人にしかわからない事情があります。それを一方的に私の基準で判断していたことがわかりました。
分かった途端スッと[許せない]が消えていきました。
2,3年持ち続けていたのに簡単に消えていきました。不思議です。
次の日の朝練では、自分の体の歪みを詳細に知ることにつながりました。
右の股関節にずっと知らずに力が入っていたことに気付きました。
これもまた不思議な感覚です。心と体がつながっていることを改めて感じました。
師匠からは、人に対し善悪の判断で裁くことは、自分自身を裁くことにつながり、
また[許せない]という気持ちは、自分を許せないという気持ちで束縛をかけていることであると言われました。
そして普段から本当に些細な事でも自分の基準で判断して小さな[許せない]がたくさんあることに気付きました。
一つ心にあったシコリに向き合って気付いただけで、また軽くなりました。
[許せない]気持ち
また一つ学びにつながりました。
ヨガは本当に面白い、人生を通して追及していきたいと感じます。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
今にいること
こんにちは
愛しのチビ怪獣の母です。
先週、チビ怪獣がトビヒになり
トビヒの恐ろしさを知りました。
今日も気づきについて書きたいと思います。
ヨガの師匠から普段使っている言葉が意識の表れでもあるので意識して言葉を選ぶ必要があるという話を聞きました。
普段無意識で使っている言葉
これを意識するって難しいです。
先週保育園の帰り、慌ただしい寝かせつけまでの時間
チビ怪獣に
「さっき言ったでしょ!!!」と逆に怒られる場面がありました。
ハッ!!これ私が普段チビ怪獣を怒っているときに使っている言葉だ!
と気づき入りました。
3歳児にとって時間は今の瞬間しかありません。
後先のことを考えて行動するとか、誰かの気を引きたいから行動するとか
計算して動くことは少なく、自分の思いのまま動きます。
対して、自分は後先のことを常に頭において行動しています。
頭が今にいないのです。過去、未来にいっています。
思い描く予定通りにいかないから叱るという行動に出ます。
しかし、今過ごしている時間は今の点でしかありません。
今の点は忙しいも何もありません。今あるだけです。
このことを愛しのチビ怪獣に教えてもらいました。
今の点に常にいるチビ怪獣がお手本が目の前にいてよかった。
愛しのチビ怪獣に注意するにも、過去未来をほじくり返して比較してではなく、
今の点にしっかり向き合って話す必要があると感じました。
忙しすぎるとまたこの気付きが頭からポーンと飛んでしまいますが、
これにまた気付き、忘れ、気づきを繰り返して少しでも今の点に集中できるようになりたいなと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
アシュタンガヨガの良いところ
こんにちは
愛しのチビ怪獣の母です。
夏が近づいていますね。
今日はアシュタンガヨガの良いところを書きたいと思います。
アシュタンガヨガはポーズの順番が決まっています。
だからいいのです。
毎日同じことを繰り返す。次はどのポーズを練習しようかなと考えることがありません。決まった順番を黙々と練習していきます。
だからマイソールスタイルという練習方法をとります。
みんなで集まって、各自が練習を始める。
どこまで練習するのかは人それぞれ
先生もタイミングを見てそっと手を差し伸べてくれます。
この黙々と集中する場を共有できること、今ではオンラインでもつながることができる。宅練でも可能。
この集中力が高まった場がたまらなく好きです。
自分の体だけにひたすらフォーカスして、内観していく
過去にも未来にも囚われることなく、ただ今に集中していく感覚
だから練習後の爽快感がたまりません。
脳の中はいつも過去、未来のことで考えを巡らせます
その思考をストップさせ、脳を休ませる
中間テストとか期末テストとか終わった後の爽快感に似ているのかも。
ひたすらに集中した後って、なんだか爽やかに感じませんか?
今だけに集中する感覚って本当に気持ちがいい
ポーズの順番が決まっているアシュタンガヨガだからこそ、この感覚が得られやすいと思います。
これは味わってみないと分からない!!!
よかったらぜひアシュタンガヨガに足を踏み入れてみてください。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。